100年を超えて生き続ける
不屈の精神「ネバー・ダイ」
創立から125年の歴史を刻む京華学園。
1866年、鳥取県で生まれた磯江潤は、幼い頃から勉強熱心で、漢学と英語にはとりわけ興味を持ち、驚くべきスピードで習得したといいます。そして成人後は、約10年間の教師生活を経て、京華学園の創設に至りました。
磯江潤は、開校当初から教育現場に次々と新風を吹き込みました。例えば、生徒に「必携簿」を持たせ、家庭との連絡ノートとして使用し、また、父兄懇談会を開催して家庭と学校との対話の機会を設けたり、全校生徒を集めて朝礼を行いました。現在ではあたり前のような学校の風景であり、システムですが、当時は画期的なこととして周囲を驚かせました。時代の動きを見据えた磯江潤の先駆性と、教育に対する熱い思いをうかがい知ることができます。
また、生徒に真剣勝負の心構えを説くため、校庭に土俵を作って相撲の力士を招き「京華場所」を開催したという、豪快なエピソードも残っています。間近で見る横綱や大関の大勝負に、磯江潤は生徒と一緒に熱狂したそうです。
晩年、闘病生活を送っていた磯江潤は、病気が小康状態になるや学校へと足を運んで「ネバー・ダイ」と、生徒の前で大きく叫んだといいます。「決してあきらめない」という磯江先生のメッセージは、「目的・目標に向かってやりぬく意志と行動力を持ち、自分自身と闘おう」という同校の校訓として、今もしっかりと息づいています。
而教育之
教育理念
天下の英才を得て之を教育す
これは学園の創立者である磯江潤が、孟子の「尽心章句上(君子に三楽あり)」の句の一節に感銘を受け、建学にあたり採用したものです。
磯江潤は、「英才」という言葉について「英才とは、いわゆる秀才にあらず。固き材木の材、社会、国家に有用の材をいう」と言っています。
これは、例えば野や山などどこにでもある松や杉などの木が、将来成長して伐採されて材木となった後、建材として優れた力を発揮する重要な材木であるように、ひとたび本校の門をくぐった生徒一人ひとりの持つ才能・素質を、社会に出ていかんなく発揮できるよう、素直に開花させていくことを意味しています。
建学の精神である「英才教育」を実現するため、明治30年(1897)に京華尋常中学校が創立され、同34年(1901)に京華商業学校、同42年(1909)に京華高等女学校が設立されました。
学園3校は、磯江潤の中等教育に向けた高い志と熱い情熱を胸に、それぞれ男子教育、実業教育、女子教育を担う学校として、伝統と個性を引継ぎ発展させながら、ともに100年を超える歴史を歩んできました。
何よりも6万人を超える卒業生たちの足跡が、名門京華の教育を物語っています。